志お屋

「常陸多賀 日本手拭」
¥990
常陸多賀マークの下には工都の象徴として
歯車を花模様のようにデザインしました。
注染で染めた本染めの日本手拭
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志お屋

「常陸多賀グッズ」
他にも沢山の常陸多賀グッズがございます。
新作も続々登場中。
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<常陸多賀の歴史>
茨城県の海沿いの北部地域は古くは常陸国風土記に登場する「多珂」の地名から始まり、明治11年の郡区町村編制法の茨城県での施行により行政区画としての多賀郡が発足しました。明治22年の町村の統合が行われ多賀町の基となる村が出来上がり、坂上村 (水木村、森山村、大沼村)、国分村 (大久保村、金沢村、下孫村)、鮎川村 (諏訪村、油縄子村、成沢村)そして明治24年、河原子村が町制施行して河原子町が誕生しました。昭和13年 河原子町・国分村・鮎川村が合併して多賀町が発足。昭和16年坂上村が多賀町に編入して大きい多賀町ができあがりました。
名称の由来は、昔この地方は多珂国に属していた関係と、その名称が如何にも将来の発展と多幸を象徴する文字であり、多賀郡下の代表都市として躍進せしめようとする意味から名付けられたと言われています。
当時は多賀郡南部の中心都市となるよな昭和30年には日立市に編入し多賀町は日立市となり平成16年十王町が日立市に編入することにより多賀郡が消滅。歴史ある多賀の名称を残すのはこの常陸多賀駅の名称と駅前一角の多賀町の町名のみになりました。常陸多賀は駅名で明治30年に日本鉄道の下孫駅(しもまごえき)として開業し、昭和14年に常陸多賀駅に改称し現在のJR常陸多賀駅になりました。
歴史のある常陸の名称を冠したこの駅名は多賀地区全体の総称として地域の住民に親しまれ愛される名称になっています。
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